2013.04.20 Saturday
おじいちゃんへ
最後に更新したのはいつだったでしょうか。
こんなにも更新期間が空いてしまったのには理由があります。
今日は少し長くなってしまうかもしれませんが、私の大切な大切な人の事を書くので、読んでいただけたら嬉しいです。
このブログは、いつも応援してくださる方、友人、そして家族に向けて書いていました。ブログを書き始めて、もう何年も経ちます。
でもそのなかでも、特に大好きなおじいちゃんに向けて書いていたと思います。
写真をやっていたおじいちゃんは、その勤勉な性格で歳をとってからパソコンを勉強し、80近くなっても毎日PCデスクに向かっていた姿が印象的でした。
私やきょうだいのブログも、Twitterなどというハイカラなものも、更新されない日も毎日覗きにきてくれていました。遠くはなれた土地にいる孫の様子をいつもおばあちゃんと一緒に気にかけてくれていました。それを知っていたから、年月がたってブログを毎日更新する事がなかなかできなくなっても、それでもやめることなく続けよう、何気ない事でも書く事で、電話は毎日できなくても、旅先からの絵はがきのようにこちらの様子を知ってもらおう、そう思って書いていました。
祖父は年末から体調が悪化し、2月にようやく帰省できたときは驚く程に痩せ衰えた姿が心から悲しく辛かったです。それでも私の事を分かってくれて、「帰ってきたよ。顔を見にきたよ」と言うと、ぎゅっと手を握ってくれました。病気と衰えのせいで、もう言葉は全く発する事が出来なくなっていました。
先月、祖父が亡くなりました。アイーダの本番の日の夜がお通夜でした。本番中の暗闇の中で、ボロボロと涙を流しながら弾きました。
翌日の告別式でようやく会うことが出来ました。少し前にここにも書いた、プレゼントした手編みのマフラーをつけて横たわっていました。
おじいちゃんとは小さな頃から本当にたくさんの思い出があるんです。
出勤するとき、幼稚園まで毎朝手をつないで連れて行ってくれたこと。それを大人になってから、「あの頃のほやほやの手の感触が忘れられない。今もあの頃と変わったとは思えない」と言っていたのを、2月に最後に再会した時に思い出しました。
車で色んなところへ遊びに連れて行ってくれました。いつも車で必ず歌うご機嫌なオリジナルの歌があって、それも鮮明に覚えています。
大きくなってからも今思えば、ソルフェージュのレッスンにお迎えにきてくれたりしていました。
どうしてあのときもっとたくさん話さなかったろう、という瞬間も、今になって思い出されます。
おじいちゃんは口数は決して多くなかったけれど、愚痴も楽しい事も、次から次へと飛び出す私のお喋りをいつもニコニコとしながら聞いてくれて、最後に必ず、私を褒めてくれました。それが嬉しくて、それがあるから、そばにはいなくても遠くに私には愛してくれる家族がいるから、と思うと東京で色んな事と闘いながら生きていかなければいけなくても頑張れました。
あるときは音楽の事、あるときは仕事の事、あるときは友人に裏切られた事、食生活も家の事も行き届かない程忙しい時、逆に仕事がなくて家賃を払う事がやっとな時。東京に出てきてはや7年ですが、一体何度一人で泣いたか分かりません。そんなあらゆる苦しい時に心の支えになってくれた人のひとりです。
他愛のないブログも、見てくれているのを知っていたから、なんだか見守られているような気持ちになったものです。
そんなおじいちゃんがもういない。という事実を、1ヶ月近く経った今も時々忘れてしまう程、未だ受け入れる事が出来ていません。
ふとしたとき、PCの使わなくなってしまったアカウントに溜まったおじいちゃんからのメールがたくさん残っている事に気付いたり、おじいちゃんから送られたたくさんの写真が出てきたり。
その度に温かい気持ちと悲しみが襲ってきます。
おじいちゃんは死期が迫った頃、PCに自分のお葬式の段取りまで細かく書き込んだフォルダを残していました。叶わなかったけれど、『お葬式は家族みんなに音楽でいっぱいにしてほしい』とか、色々書いていたんだそうです。
あらゆることを細かく指示していながら、『家族とのいちばんの思い出』という欄が空欄のままで。そこだけは退院してからゆっくり書こうと思っていたんでしょうね。
いちばん知りたいところだけれど、それを知る事はもう出来ません。
おじいちゃんの遺した言葉があります。そっくりそのままではないけれど。
『口先だけではなく、行動を以て人を愛しなさい』
言葉で言うのは簡単だけど、ちゃんと感謝や愛の気持ちは、行動で示してこそ伝わる。
元気になってほしかったから、最期のように接するのが嫌で、マフラーを送ってみたり手紙を送ってみたり、元気づけたい気持ちが先走っていたけど、もっともっといろんな感謝の気持ちや大好きな気持ちを伝えればよかった。もしかしたらそんなことをしなくても、伝わっていたのかもしれないけれど。
まだまだ書ききれないのですが、おじいちゃんへの気持ちです。
おじいちゃんへのメッセージボックスでもあったこのブログをひらく気持ちになかなかなれなくて、しばらく書きませんでした。
オケに入ってから、かつてないほど貴重な演奏の機会をたくさん貰っています。これから先、音楽家としてもうひと回り大きくなりたい。そう思っているから、毎日頑張っています。
自分のことだけではなく、周囲の環境の変化、人と人の様々な交わり、苦しみ、妬み、ダークな部分も目にしなければならないのです。これは悲しいけど、綺麗な部分ばかりでないのが社会です。
私はキラキラと輝くような幸せな思い出や、家族との絆があるから、そういう部分を目にしたり感じたりしても、決して前を向き続ける事をやめないで、周りを巻き込んで笑い合えるような存在になりたいです。
全くそんな気がなくても見た目が無愛想だと言われたり、感じが悪いと言われる事がよくあるのですが、それさえも、おじいちゃんは否定してくれました。おじいちゃんにとって、可愛い可愛い孫である事は変わらないと。
私の宝物は天国へ行ってしまったけれど、失った事への悲しみは無くならないけれど、おじいちゃんからもらったたくさんたくさん数えきれない程の思い出は心にしまって、もしおじいちゃんがそばにいたら誇れるようなこれから先の人生を生きていきたいです。
祖父が撮った美しい鳥取の風景です。
ほんの一部ですが、祖父の愛した鳥取、祖父が手にした写真という美を具現化するツール。
ずっとずっと忘れないでいたいです。
心から、ありがとう。
見守ってくれていると信じて、頑張って生きていきたいです。